クレジットローン ―ある主婦の15年―
第1章
26歳の後半で待望の赤ちゃんができました。理解ある職場で出産の2ヵ月前まで仕事をさせてもらっていました。ただ、出産後にもう一度復帰できるという保証はありません。休職扱いではなく、退職という形をとらざるを得ませんでした。夫の給料がほんの少し(2万円)増えてはいたのですが、当然わたしが仕事をやめた分を補うほどの額ではありません。それでも、この時はまだ危機的状況のはじまりに気づきませんでした。手持ちの現金をやりくりすると同時に、カードで買い物をしたほうが計画的かと思い、ちょっとした買い物は2、3回の分割で支払い、ベビー用品、電化製品などの大きい買い物はボーナス払いにまわすようにしました。
この時点ではこの方法を、まだ「やり繰り」と信じていました。ショッピング残高がすべて借金だという感覚をわたしは、まったくといっていいほど持っていなかったのです。はじめは、支払い日には一括、分割問わずだいたいは返せていたのですが、分割の繰越分とリボ払いの多用で毎月のショッピング残高がほとんど減らなくなり、加算されていきました。
28歳のころは子育てに夢中な時期でした。毎日が初めての連続で、子供が生まれてからの1年はあっという間に過ぎていきました。子供中心の特別な時期という頭があり、夕食など多少お金がかかっても楽なほうを選びがちでした。離乳食はきちんと手をかけて作るけれど、自分たちはデパートなどで、惣菜を買ってくることが多くなったのです。もともと食べ歩きが好きだった夫は、デパートの惣菜でも珍しいものがあると高くても買ってしまい、わたしも子育てばかりでストレスがたまっていたので、流行のデザートなどに心がときめきました。子供をかかえての移動にタクシーを使うことも多かったように思います。
しばらく前から接待費などの経費が制限されるようになってきたと夫がこぼしていたのですが、とうとう会社の業績が悪化してきたということでした。もともと2ヵ月分がやっとでるくらいのボーナス支給が遅れ、通常より20日遅れてかろうじて10万円程度が各社員に支払われました。おそらく、秋のボーナスはのぞめないだろうと夫は言っています。仕事量が増え、後輩の面倒も見なければならない。疲れて帰ってくる夫は日に日に不機嫌になっていきました。節約を試みようと考えはじめますが、この頃にはすでにカード払いが日常化しており、ボーナス一括をあてにして買ったベビー用品、電化製品などの支払いができなくなっていました。
さすがに金融業者から借りるという発想はまだなかったのですが、銀行のキャッシュカードでのキャッシングにはそれほど抵抗感がありませんでした。普段の買い物に使っていた信販系カードのキャッシングも同じで、「借金」という感覚がまったくなかったのです。何かを買った代金として、毎月支払いをしていくといった感覚です。銀行のカードで借り、その銀行に振り込まれる給料を返済にあてていると、まるで自分のお金をやりくりしているかのような錯覚に陥ります。
夫が生活費の詳細を気にかける様子もなく、わたしとしても家計は主婦が預かるものだという思いがあったので、銀行からのキャッシングを夫に報告することはありませんでした。
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